2017
こんにちは、アダムです。
ご挨拶が遅れました。
明けましておめでとうございます。
実は、年明け早々面白い案件に参画させて頂いており
方々を飛び回っている間に、気付けば1月も半ばです。
2017年は、純粋に投資で資産を増やしていくという活動に
主軸を置いて取り組もうと考えています。
余計なものは削ぎ落とし、出来るだけ上澄みに近い部分のみ
皆様にご提供出来るよう精進します。
世界中で、物事の変化する速度が速まっているのを感じます。
スピード感が重要ですが、バランス感覚はそれ以上に必要となってきます。
「より安定」して、「より確実」にをテーマに向き合うべきですが、
それに見合う案件の少なさは今も昔も変わりません。
選択肢は無数に転がり、今や足の踏み場もない状態。
障害物だらけの地上を眼下に綱渡りをしているのが、
どうやら投資家という人種らしい。
障害物だらけの道も、綱渡りも共通するのは「命賭け」ということです。
「命を懸ける対価は、果たして如何程か?」ということに
私は興味があるわけですが、言葉を濁す人ばかりで辟易します。
私の思う人生の定義とは二種類あり、それは「選ぶ」か「従う」かです。
「従う路」を選択すると、丁寧に舗装された路が用意されますが、
通行料を免除される代わりに道路の舗装係を命じられます。
これが「従う」ということで、今歩く道を先の人が作ります。
一方、「選ぶ路」を選択すると厄介者扱いされ取り合ってもらえず、
十分なサービスは提供されません。
舗装路を歩くときの通行料も馬鹿高く、そのくせ真ん中は決して歩けません。
メリットは、縛られないということで、今歩く道は今作ります。
これが、時間を買うということで、この知識は何よりも大切ですが
世間的には軽んじられます。
時給いくらという考えではなく、1時間あればいくら稼げるかという
思考を持つ方が至極健全で、利益は結果ではなく過程にこそあります。
私は、いくつかの選択肢を出すことが出来ます。
選ぶか否かは皆様次第。
投げかける事しかできませんが、可能性と呼ばれる不確かな言葉を
少しは確かな現実に変えられるとは思っています。
本年も引き続き、宜しくお願い致します。
それでは、アダムでした。