2014.09.27
こんにちは、アダムです。
日本にとって、忘れられない日がまた刻まれました。
「御嶽山噴火」
御嶽山を見たことすらなく、テレビでニュースを見ているだけの私には
今回の件で亡くなられた或いは依然行方不明となっている方々のご親族の
心中は想像すらできません。
亡くなられた方々に対しては、ただただ、ご冥福を祈るのみです。
行方不明者の方々には、早く見つかって欲しいと祈るのみです。
今回の噴火は、土曜の昼間に発生しました。
せめて、休日でなければ・・・。
せめて、昼間でなく夜であれば・・・。
結果は大きく違っていたはずです。
以前、FXの話で書きましたが、「起こって欲しくないことは起こる」ということです。
※過去記事はこちら。
ニュースで、戦後最大の惨事と言っていました。
評論家は、被害が大きくなった理由の一つに、最近の登山ブームがある。と言っていました。
この方は、頭が悪すぎるのでテレビに出るべきではありません。
登山ブームで山登りをする人が増えた。
↓
以前よりも多くの人が、御嶽山に登っていた。
↓
大惨事になった。
この理屈です。
これだと、山登りを趣味にしたから悪いと言っていることと同義です。
これを聞いた親族は何を思うでしょう?
言葉の暴力です。最上級の。
評論家は後付けが得意ですが、ここまで来ると辟易します。
例えば、評論家の言ったことが気に入らなかったので、その評論家を襲ったとします。
犯人は、「評論家になったから悪い。」と言います。
やっていることは同じですが、前者は出演料を貰い後者は法によって裁かれます。
評論家にしてもテレビにしても、重要なのは質の問題です。
3.11の震災の時もそうでしたが、このような自然災害に良いも悪いもなく、
ただ、事実のみを粛々と伝えるのが報道に任された責任や義務なのでしょうが、
それではテレビが面白くないので、無知な野次馬が出演して持論を語ります。
そちらの方が、実に不愉快で面白くないのですがそれに気付く質が
今の報道業界には無いようです。
いずれにしても、物事にはどこかで折り合いを付けなければなりません。
ただ、折り合いの付け所と、心の置き場所の見つけ方が分からなくなることがあります。
それでは、アダムでした。