持つ者と持たざる者の差
こんにちは。
アダムです。
ロシアのウクライナ軍事侵攻が進み、市場は混沌を極めております。
今後、ロシアの手がウクライナ全土に及ぶことになれば、状況は
より一層の暗雲に飲み込まれていくでしょう。
コロナ禍で世界が手を取り合わなければならない時に
何故、命を奪い合わなければならないのか・・・
差し出すものと得られるものの天秤が釣り合っていない。
実は、私が運営しているトレードチームではロシアの奇妙な
動きを昨年の7月ごろから検知していました。
ロシアの外貨準備高(特にドル建て)の割合が過度に増加しており
私が取り扱う運用案件では、市場が怪しいので稼働と停止を
適宜繰り返しながら運用をしている旨ご連絡していました。
その理由が、上記のロシア関連も理由の一つとなります。
更に、中国についても昨年末頃から資産会計上の不可解があり、
既に我々の水準では臨界点付近なので注視はしていきたいです。
いずれにせよ、エネルギーが溜る箇所には発散する先が
用意されていることが多く、それが相場或いは世界にとって
幸か不幸かは「その時」まで分かりません。
歴史的に後者の方が多いことは言うまでもありませんが。
さて、投資の世界では「持つ者と持たざる者」の議論がよく出ます。
曰く、
持つ者は、気運や機会を毀損せず嗅覚という金銭感覚を持ち、
相場の荒波を難なく越えていく。
持たざる者は、決断と意志が脆弱で時と金を同じように浪費する。
従って、外れくじという負債を常に抱えている。
自分がエントリーした瞬間にレートが不利方向に動く。
自分が買った価格が頂上だった。
あげれば切りがなく、心当たりがある方も切りがないと思います。
一方、10年以上金融に生きてきた私の見解を記載するならば、
上記は全て不正解で不十分です。
相場に「持つ者と持たざる者」という概念は存在しません。
あるのは、「到達する者と到達できなかった者」の二種類です。
因みに、私は到達した側に座る端くれだと思いますが、
何か特別なことをしたわけではありません。
私がやったことは、「思考」と「試行」の2つです。
理解や真理に到達するという作業において、上記の2つ以外は
不純物であるとすら思っています。
間もなく形になろうとしている運用案件も、上記の作業の到達点に
組成された企画です。
この運用案件を通じて、このサイトで繋がった方々が
「到達する側」に向かって頂ける未来を想像しています。
それでは、アダムでした。