少年A
こんにちは、アダムです。
投資と関係の無いことは、あまり書かないつもりですが我慢できないので書きます。
今回のエントリーは、投資と全く関係がないことを前もって書いておきます。
勘の鋭い方ならエントリー名で既にお気づきかと思いますが・・・
最近、世間を騒がせている「あの出版物」についてです。
元となった事件は、1997年の神戸で起こりました。
非常に凄惨な事件で、当時の衝撃は今でも鮮明に覚えています。
それから約20年
何故、このタイミングで・・・?
などと言われていますが、そんなもの簡単で、非道でも卑劣でも何でも良いから
金を稼ぎたい輩が、たまたまこのタイミングで現れただけです。
そもそも、「なぜ、このタイミングで?」という考え方自体がずれていて
「どのタイミングなら良かったんだ?」と聞き返したくなります。
出版について、「タイミング」などなく、何時であっても販売すべきではありません。
もし、販売することが出来るとすれば、
被害者及び亡くなられた被害者に関してはその遺族全員が
「出版しても良いよ。」となった時のみです。
それ以外で、出版などあり得るはずもありません。
少年Aは、本の中で「自己救済のため」などと述べているようですが
「自己顕示欲を満たすため」或いは「自己陶酔」の間違いです。
そういえば、事件当時も警察を挑発したりしていたことを思い出します。
自己顕示欲が強いのでしょう。
そう考えると、心の深い部分では何も変わっていないということで背筋か凍ります。
真に禊をしたいのであれば、こんなものを出版するのではなく、
残りの人生を苦痛と謝罪の中で生きるしかありません。
それが出来ないから犯罪者なのでしょうが。
こんな、侮辱めいた本の中で何度謝罪の意を示そうが、被害者が救われるわけはなく
当時の苦痛と憤怒が再び呼び起こされるだけです。
出版社は、「加害者の心理を紐解くうえで非常に有意義な本である。」と
社会奉仕に貢献でもしているかのような物言いです。
やっていることは、ただの金儲けであり、それに気付いてやっているので
天然のサイコパスだということが分かります。
これが許されるなら、少年法が適用されるうちに出来るだけ凄惨な事件を起こし
十年後に本を出して一儲けというビジネスモデルが成立します。
言論の自由や報道の自由などを引き合いに、今回の出版を正当化する向きもありますが、
そんな下らない自由よりも尊重されるべきは「人の尊厳」ではないのでしょうか?
今回の出版は、一部の人の尊厳に対して著しく配慮を欠く行為です。
こんなものは、警察などの機関が資料として持っておけば良いもので
広く民間に流布するものではありません。
この本を読んで、事件を起こした加害者の心理を知り、
それを正当化する人が現れるかもしれません。
その瞬間、日本人の民度は地に落ち「人間」としての階段を数段踏み外すことになります。
そうなる前に出版を取りやめ、回収をして欲しいですがそうはならないでしょう。
販売を自主規制する書店も出ているようですが、そうした良心を信じるしかない状況です。
私は、何があっても買うことはなく従って読むこともありません。
1997年に、二度と起こってはならない事件が起きた記憶だけ心に残します。
今回の出版にあたり、被害者の方や残された遺族の心中を察すると胸が痛みます。
それでは、アダムでした。